超繊細さんのブログ

HSP気質です。パニック障害⇒うつ病を患い、現在も治療中。

父との不仲

こんばんは。

私の繊細な性格、そして両親との折り合いの悪さによって、パニック障害とうつ病を発症したと思っています。

今日は、特に折り合いの悪かった、私の父について書こうと思います。

目次

気分屋な父

気分屋な父

気分屋な父

父は、とても気分屋でした。

私が子供の頃は、毎年夏休みになると海水浴に家族で行っていました。
しかし、旅行の前日は決まって父の機嫌が悪くなり、母に当たり散らすのでした。

そして楽しみにしている旅行が行けなくなるかもしれない、と母から聞かされるのでした。

父の機嫌が悪くなる理由は、結局よく分からないものでした。

母の口の聞き方が気に入らなかったとか態度が悪かったとか、無理やり探しだした理由みたいなもんです。

そして、母がいくら話しかけても無視するのでした。

最後は父が母に説教のように話して、母が泣いて終わるのでした。

そして、最終的には旅行は行くことになるのでした。

また、よくパチンコに行っていたのですが、負けて帰ってくると口を聞きません。
母が話しかけても、無視です。

そして、最後にキレて終わりです。

自分が大人になった今、父も大人になり切れていなかったんだと分かります。
でも、子供にとっては、トラウマにもなる嫌な思い出になります。

女は子供を産めば偉いのか

女は子供を産めば偉いのか

女は子供を産めば偉いのか

私には2つ下の妹がいますが、妹は私とは全く性格が正反対です。

簡単に言うと、私は何でも慎重に計画を立ててする派、後先考えず言いたいことは何でもやってしまう派です。

そして、妹は20歳で出来ちゃった婚をしました。

そんな妹を父は、「あいつは子供を産んでえらい。」と私によく言っていました。

教育を受けたり勉強するよりも、女は結婚して子供産んだらえらいという考えの人でした。

今そういう発言をすると、女性差別などと言われるでしょう。

私は勉強を頑張っているのに!と言い返しましたが、

「おまえは頑張ってなんかいない。親の金で留学してるだけだ。」

と言い返されただけでした。

まあ、昔から何を言っても人の意見は無視でしたから、言い返すだけ無駄なんですが、やはり黙ってはいられなくて、つい言い返す時もあります。

しかし、妹を褒めていたと思えば、妹が何かしでかすと、とたんに私を褒め出します。

要は気分屋で、人を褒めたりけなしたり。

だからあまり父の発言は信用できませんでした。

理解できない体罰

理解できない体罰

理解できない体罰

私が何歳だったのかは覚えていませんが、子供の時に妹と喧嘩をしていた時に、父が間にはいってきて、「これで叩け!」と言ってバドミントンのラケットを妹に渡そうとしました。

妹はさすがに受け取りませんでしたが、父が代わりに私の太ももをラケットで叩き、ラケットは折れてしまいました。

私は、泣いていた記憶があります。

これは絶対に忘れることが出来ない記憶です。

シャワーの湯が出ない!?

シャワーの湯が出ない!?

シャワーの湯が出ない!?

父も母も、封建的な考えの人でした。
母に色々言っても、お父さんに聞いてというだけでした。

またある時は、一度仕事から帰ってきてシャワーを浴びようとしたら、父が孫と風呂に入る為に湯を溜めていたんです。

私はさっとシャワーだけ浴びたかったので、父に何も言わずに黙って先にシャワーを浴びに行ったんです。

すると途中から湯が出なくなったんです。

あれ?と思い、一旦風呂場から出て給湯器のスイッチを見ると消えていたので、おかしいなと思いながら再度つけてまたシャワーに戻りました。

するとまた水が出てきました。

なんと父が腹を立てて、給湯器のスイッチを消していたのです。

真冬だったのでとても寒かったのを覚えています。

私にも非があったのかもしれませんが、やることが子供っぽすぎるんです。

ついに一人暮らしを始める

ついに一人暮らしを始める

ついに一人暮らしを始める

その他にも、両親とのことで色々とストレスが溜まっていたこともあり、この出来事を機に、お金がなくても一人暮らしをしなくては神経がもたないと思いました。

たまに出る鬱状態はありましたが、幸いにもパニック障害は治まっていたので、一人暮らしを決心しました。

おわりに

以上、今でも強烈に残っている、父との嫌な記憶でした。
これが他人だったら、縁を切ったら終わりなのに、と何度思ったことか。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。