超繊細さんのブログ

HSP気質です。パニック障害⇒うつ病を患い、現在も治療中。

母との不仲

こんばんは。

以前父と折り合いが悪いという記事を書いたので、今日は、母との事を書こうと思います。

sensaiusagi.hatenablog.jp

 

目次

おばあちゃん子でした

おばあちゃん子でした

おばあちゃん子でした

私は、母とも仲良くありません。

私は、おばあちゃん子(母方)で、祖母とずっと同居していたので、祖母が一番近い存在でした。

私には2歳年下の妹がいますが、妹が生まれた時に私と妹二人の世話が大変ということで、私は一時期祖父母の家に預けられていました。

祖父母には本当に可愛がってもらい、また祖父にはよく亀を見に連れて行ってもらっていたことを覚えています。
しかし早くに亡くなってしまい、それから祖母が私たち家族と一緒に住むようになったのです。

祖母は、いつも私の見方だったので、母に嫉妬されることも多々ありました。

昔気質の母

昔気質の母

昔気質の母

両親はずっと共働きでしたので、おばあちゃんと過ごすことが多かったのですが、それでも私が高校1年生ぐらいまでは、母ともよく日常あったことを話していたと思います。

母は月曜日から土曜日までフルタイムで働いていたので、本当に心の余裕がなかったのだと思います。

でも昔ながらの気質の女性なので、何か言いたいことがあっても黙って押さえ込み、血父の言う事は絶対でした。

だいたい父の言うことは一般論からするとおかしいのに、母は言い返しませんでした。

そして、そのストレスが長女の私に来ていました。

母は父に何か言われても、言いたいことが言えないので、よく物に当たっていました。よく食器に当たっていたので、夕食後の食器を洗う時間は怖くて、私は自分の部屋に逃げていました。

私は手伝いたかったのですが、「手伝いたい」という一言が何故か言えませんでした。

私は、離婚すればいいのにと次第に思うようになりました。

オシャレが出来ない

オシャレが出来ない

オシャレが出来ない

母は私が洋服を買ってきたりすると、批判するようなことを言って来ました。
「自分にだけそんないいもの買ってきて。一体いくらしたのよ?」とすぐ値段を聞いてくるので、私はとても罪悪感を感じていました。

なので、買ってきたものは隠すようにして自分の部屋に置いていました。
靴は、買ってきた時は隠せても履いているとばれるので、何か言われるのを恐れていたのを覚えています。

私が幸せそうにしていたらいけなかったのでしょうか。

それがトラウマなのか、今でも自分が服を買ったり、おしゃれをすることに罪悪感を感じるのです。

連絡に心がざわつく

連絡に心がざわつく

連絡に心がざわつく

実は、ここ5,6年くらい音信不通でしたが、去年ふとラインがきたのです。
何事もなかったかのように。

何故5,6年音信普通だったかというと、私がうつ病で働けなくなって家賃を滞納した時に、保証人が両親だったので迷惑をかけてしまいました。

私が悪いのですが、とにかく家を出るように言われて住むところを探し引っ越しましたが、うつ病の中で本当に大変でした。

親なら、もうちょっと精神的に助けてくれてもいいんじゃないかと本当に思いました。

元々仲が悪い上に、そういういざこざがあったので、ずっと心にわだかまりがありながらも音信普通だったのです。

でもラインがくるたびに、憂鬱になります。
自分が独身で、ずっと底辺の生活を送ってきていることに、罪悪感を感じます。

連絡する人もいないから送ってくんだなと思いますが。

おわりに

今から考えたら、母も大人になり切れていなかったのかと思います。
一緒にお出かけしたり旅行に行ったり、お母さんと仲がいい人がうらやましいです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。