こんばんは。
銀行を辞めてというより首になってから、派遣会社を転々とし始めました。
留学を諦めきれないでいた私は、25歳になっていました。
そして、ついに留学を決意するのです。
目次
留学相談センターで手続き
お金も溜まっていないけど、これ以上待っていたら、年をとってしまうだけだと思い焦っていました。
行くのならこれが最後のチャンスだと思い、留学相談センターに行き、衝動的に手続きのお金を振り込みました。
今の時代のように、ネットで何でも情報を得ることができる時代ではなかったので、よく未知の世界に飛び込んだなあと、自分でも感心します。
やはり若いっていいですね。
怖いもの知らずですけどね。
両親には事後報告です。
もちろん、怒られたし、反対されました。
1年だけだからと頼み込んで、結局お金を貯められていない私は、両親に出してもらうことになりました。
父には、
「外国なんか行って銃で撃たれて、死んでも知らないからな!」
と馬頭されました。
でも、もう後戻りはできません。
留学生活
結局、とある国で4年間暮らしました。
初めは1年間語学だけ学ぶ予定でしたが、英語力が高まってくるのが分かったのが、ちょうど1年くらいなんです。
面白いくらいに英語力が伸びてきているのが分かりました。
周りが大学に編入して行くのを見て、私ももっと勉強したいと思うようになりました。
帰りたくない私は、親に頼み込んで、大学に編入という形で入りました。
思い返せば色々ありましたが、あの4年間が人生で一番楽しかった時期です。
でも友達は出来なかった
しかし、友達は出来ませんでした。
外国に行けば、こんな私でも友達が出来るのでは?期待していました。
言いたいことをズバズバ言うので、もしかして海外向きかも?と思っていたのです。
しかし、違っていたようです。
今なら考えればわかるのですが、性格に難がありました。
その場その場で、ワイワイやる友達はいました。
でも、気づいたら、本当の友達と呼べる人がいなかったのです。
ホームステイから学校の寮に移り、同じ寮の仲間とは一緒に出掛けたり、バーに行ったり大学生活を謳歌していました。
しかし寮から出て、当時始めて出来た公認の彼氏と暮らし始めると、皆離れていきました。
寮で仲の良かった人たちも、離れていきました。
離れて言ったと思うか、あえて個人的に会うほど興味を持たれていなかったのです。
また、彼氏には友達がたくさんいましたが、私には友達と呼べる人がいなく、とても恥ずかしかったです。
彼氏の友達からは、会話の中で私が
「友達がね、、、」
というと、
「君に友達はいるの?(笑)」
とからかわれることもありました。
いかにも、友達がいなさそうに見えたんですかね。
あたりなんですけど。
そして、一人行動が苦手な私は、友達がいなく家で引きこもりのようになり、彼氏にも飽きられて、周りの皆が私から去っていきました。
自分は、海外でさえ、どこに行っても受け入れられないんだと悲しくなりました。
大学では心理学を専攻
大学では、心理学を勉強しました。
今から考えると、自分がこうなったルーツを探していたのかもしれません。
友達はいなかったけど、勉強は楽しくて仕方ありませんでした。
膨大な量の論文やエッセイなどを、英語で読まなくてはいけなかったので、かなり大変ではありましたが、自分の事が分かっていくようで楽しかったので続けることが出来ました。
両親を卒業式に呼んだけど
海外の大学は、入学してからが大変で、しっかり勉強をしないと卒業が難しいのですが、無事卒業も出来ました。
周りの人達は、卒業式に両親を母国から呼んでます。
私も一応声はかけましたが、お金がないという返事でした。
確かにお金はかかるので、何とも言えませんでした。
もともと海外には興味がないので仕方ないと思いますが、子供にも興味がないのかと思いました。
卒業式は一旦卒業してから数か月してから開催されるので、皆一旦帰国して戻ってくるという感じです。
私は卒業式に参加するのは難しかったので、寂しかったですが、卒業式に着る青い服をレンタルして、校内を回って写真だけは取りました。
海外での仕事経験
実は、卒業後もビザが残っていたので、半年間現地で働きました。
お土産屋さんや事務の仕事をすることが出来て、とてもいい経験が出来ました。
日本に帰りたくない思いで、その半年間にオーストラリアに永住出来るビザを取得しようと頑張りましたが失敗しました。
自分の荷物を知り合いの倉庫に預けて、絶対また戻ると誓って、仕方なく日本に帰国しました。
おわりに
あれから、早いもんで約20年が経ちました。
帰国してから、精神を患ったこともあり、結局一度も戻っていません。
私の荷物はどうなったんだろう?ってたまに思います。
死ぬまでには、一度戻りたいなと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。